ほそけん&ちんぺーとマクロスFの映画見に行ってきました。
アニメ版は途中からラストまで見たんだけど、こんな話だっけ?
選曲と曲順がよかったなぁ。ラストが熱かった!
最近映画はアニメばっかり見てる気がする。
アニメと実写の違いって何なんだろう。
2次元と3次元?髪の色?
表現方法の違いだけだとしたら、あんまり違いはないよなぁ。。むむむ。
ああ、それにしても今日はよく残像が見えた。
接待と言うと、高い店に連れてってもらって女の子が・・・(略)と、
(行ったことないけど)思っていたのですが、
今日は、場所は社内食堂で、出て来たのは面白いおじさんばっかりでした。
とても楽しかったです。まる。
営業さんに必要なのって、どんな力なんだろうね。
顔が広いこと?知識の幅が広いこと?
今日見た人は、絵に描いたような営業マンで
面白いようにどんな話でも合わせてくるし、
隙あらばビジネスの話に持っていくし、うーん、こういうテクニックなのかぁ、と。
会社が大きくなれば、
例えばエンジニア職と営業職は分業した方が効率がよいのは理解できる・・・ものの、
自分が理解してなかったり、本当によいと思っていないものであれば、
望んで売ることは、出来ないだろうと思う。
例えば、この営業さんはどんな気持ちで自社のプロダクトを売っているんだろう。
自社の製品に、あるいは人に、誇りを持っているのだろうか。
そういう話を今度聞いてみたい。
ああ、金にならないし、嫌われそうだ・・・
会社の向かい側の席に座っているY先輩は、元社長。
普段はのほほんとしている人で、
うーんよくわかんない人だなぁ、と思っていたんだけど。
こないだ、ASPの調査やヒアリングを一緒にしていて
営業さんを呼んで名刺交換をした時のこと。
Y先輩:「よろしくお願いします!!!」
あ、これか、と。
(なぜか)たっぷりの自信と、(なぜか)知っているたくさんの知識。
知らない分野の話なのに、
「お詳しいですね」
と先方に言わせる自信のある話し方。
横にいてて安心出来るこの態度、風格。
これが社長なのかも知れない、と思った。
「お前は自信過剰だ」
と言われて育って十数年。いつの間にかそれも言われなくなりました。
言ってくれる人が、いなくなったから?
でもね、それ以上に自分の自信が無くなったからだと思う。
まだまだ知らないことがたくさんあるし、
普段の生活でももっと出来ることがあるし、
友達と遊んでいても、振り返るともっともっと楽しく有意義に過ごせたんじゃないかって思うし。
でも、いま必要なのは自分のための自信ではなく他人のための自信だ。
人が、安心して傍にいられる人間ってどういう人なんだろう。
何があれば、その人に付いていこうと思えるんだろうか。
今の環境で学びたいことが、また一つ増えた。
「空気になるくらいなら○○の方がいい。」
みんな何を入れるのだろうか。
あるいは、空気の方がいい?
ちなみに俺は○○に××を入れた結果、
今でも「ちかちゃん」とか「ちかてぃー」と会社で呼ばれるのですが。
#結構気に入ってます。
人の集団がある以上、ポジションの確立と言うか
(おおげさに言うと)ブランディングは不可欠だなぁと思います。
じゃないと空気になりかねないので。とか思うのは臆病なのかなぁ。
自分の居心地のポジションは、コミュニティが変わってもあまり変わんなくて。
だからいつものポジションが取れないところに行くと
妙にそわそわしたり、なんとなーく居づらかったりする。
ふむ。
居心地の良い場所と言うのは、自分のポジションが認められていて、
居場所があるって自分が感じられるところのことなのかも。
と、すると。
居心地の良い場所を作るということは、
個々人の在り方を、周りが保証することによって
(ある意味、意図的に)作れるのではないだろうか。
つまり、そこが彼&彼女にとって居心地の良い場所であるということと
周りが彼&彼女をよく知っていると言うのは必要十分な関係になっているのだろう。
あれ・・・すごく当たり前な結論になってしまった・・・
でも、そういうことだよね。
そういう関係でありたい。
部屋で電気を全部消して、
ベッドに寝転がって、
あ、やっぱ暗いな、って思って、
間接照明を一つだけ付けて、
何か暗いし寒いなぁって思いながら、
なんかね、なんかね、と繰り返しながら、
電話をしていた。
この人は、やさしいなぁって思った。
この一年、色んな出会いと経験を重ねて、ずっと走って来たつもりだった。
もと居た場所が見えなくなるまで走ってしまいたかった。
でも、やっぱり自分は、ずっと同じところにいるのかも知れない。
自分は、情けないなぁって思った。
迷ったけど、やっぱ嬉しいから書いちゃう。
この4月から9月まで初めて自分で目標を設定して、仕事をして、今日評価を受けた。
自分で言うなって話ですが、
自分はやはり褒められて伸びるのではなくて怒られて伸びる子(!)だなぁと思う。
そもそも自分は伸びているのか、と言う疑問はあるものの。
普段怒られてばっかだし、それはむしろ嬉しいことだと思っています。
「褒めると調子に乗るから」
と言うのは高専や大学の学校の先生にも、今の課長や部長にも言われていることで
ああ、とても自分をよく見てもらって、適切にご対応頂いているなぁ、と思うのです。
怒られて怒られて、半年に1回くらい褒められるくらいでちょうどいいと思う。
#それで、今日半年振りくらいに褒められたわけで。
方法論の話なので、人に合ったやり方は色々あるはず。
最近誰かに「まんとるに褒められた記憶あんまり無いんだけど・・・」と言われたので
(えらそうな言い方だけど)褒める技術を磨いていきたいと思いました。
やっぱ今日褒められて、嬉しかったから。
今日は気分よく寝られそう。そして、寝過ごしそう。(まず間違いない)
明日会社やのに!!
でも、家で喋る相手がいると言うのは素敵なことです。
自分のことが落ち着いてくると、人のことが気になり始める。
困ったことが片付いて来ると、普段それほど困らないことが見えてくる。
やっぱり、みんなが幸せにあってほしい。
そのために出来ることを探したい、といつもの結論に辿り着きつつ寝ます。
そりゃそうだ。
誰だって心穏やかに居たいと思うし、ゴキゲンに毎日過ごしたいだろうと思う。
でも、あまりにも周りに迷惑だと思ったので、真面目に考えることにした。
どうしたら怒らなくて済むんだろうか。
みんなにどう思われてるのかはわかりませんが、
僕は基本的に怒りません。(怒ってないつもりです)
そう見えるとしたら、
・言い方が(たまに)冷たい時か
・本気で真面目な話をしている時か(いつも本気だけど)
・ただテンションが上がり過ぎている時か(なんだそれは・・・)
くらいかなと思います。
以上、自己分析。
でも唯一、なぜか怒ってしまう相手がいる。
考えてみれば、これはあまりに特殊で、異様。
「直球(変化球)を投げる」話を土曜の夜にした。
このことは色んな比喩を含んでいますが、
人に対しての言葉、問いの投げ方が真っ直ぐか婉曲か、という話です。
併せて、ミットと雪合戦の話が出た。
ミットの強さは人それぞれ違うから、
そんなに強く投げたらミットも破れるわ、とか、
そもそもボールを受け止めない、雪合戦状態で投げ合うやつもいる、とかそういう話。
そしてこれはいま考えたことだけど。
直球を投げると直球でしか返って来ないのが、普通、だと思う。
強くない、捕りやすい球を投げたら、同じようなものが返ってくるだろう。普通は。
捕りにくい球が来たら、イラッと来て、そういう球を投げ返す。
ケンカになるのはそういう時だと思う。
このアナロジーで言うと。
捕りにくい球が来た時に、捕りやすい球を投げ返せる力が必要になる。
・・・あれ、いつもは投げ返せているハズなのにな。
思ったけど、やっぱりこれは甘えでしかないだろう。相手に対する。
(お互い)「こんな球投げても捕れるだろ」
と思っているから、こうなる気がする。
球を捕る力は、本当はみんな同じようなレベルなのではないかな。
それを意識すれば、甘えることもなくなるのだろうか。
理屈ではわかっているのにね。
あとは、脊髄反射をどう止めるか、とか。
なんか・・・26年も経っているのに、成長しないな。
大事な問題だけど、こんなことを考えること自体、本当は無い方がいいのに。
そう思うとすごく空しいし、自分がものすごく無様だ。
中華美味し過ぎだろ。。そしてとても楽しかったです。
ココナッツ団子とか家で作れるんかな。
最近、週末に出かけることが少なくなってきた。秋葉原でさえ行ってない!
ほんと池袋しか出かけてない・・・。
毎週、家でみんなで集まるからなんだけど。
久しぶりに少し遠出(片道500円以上は遠出ではなかろうか)して
なんかとても楽しかったです。
新しい友達も出来たし!今後の計画もいろいろ出来たし!!
二日あるんだから、片方は外に出るようにしたいな。
うーん、でも、もう一日家で勉強とか、作業することもしたい。
平日の夜にやればいいのかなぁ。
懸案だった仕事がひとつ終わって、
最近やっと色んなものが落ち着いて見えるようになってきた。
日々の生活(特に平日)を見直すタイミングは多分、今なのだ。
だけど
(接続)
〔助動詞「だ」に接続助詞「けど」の付いた語。「だけれど」のくだけた言い方〕「だけれども」に同じ。
使いやすいから使ってしまう言い方。
言いたいことが長くなってしまう時に、
文を区切るために文末に付けちゃうんだけど。(←これ)
意味はさておき、
単純に、文末に逆接の言葉がいっぱい付いてるとかっこよくないよなぁ、
と言うことをえーりんと少し話したことがあります。
書いたものを読み返してみたとき逆接(だけど)ばっかりだと
「どんだけ言い訳ばっかしてんねん・・・」
と思うんですが。そうでもないですか?
メールの話も書いたんだけど、(←これ)
何か書く時は「誰かに」「何かを」伝えたいはずなわけでして。
表現一つで、相手に与える印象は大きく変わってくるわけで。
むしろ会話が出来ない状態で文だけを晒す時は
(大げさに言うと)自分の言いたいことを最大限伝えられる表現に乗せて
書いておくべきだと思うのですわ。俺はそう書きたい。
べきですよ。べき。
した方がいい、とかそういうゆるいのじゃないです。
だけど、って自分で書くのは
言い訳というか、予防線を張りながら話してるんだろうな。
「いやいや僕はこういうことはちゃんとわかってますよ。でもね、」っていう感じ。
書く内容が短いと、誤解を招く気がするから?かな。
難しいなぁ。
いっぱい書くと冗長だし、そもそも読みにくいし。言いたいポイントが伝わらないし。
別にブログに限らず、メールでもプレゼンでも、あと会話でも同じだろうなぁ。
ああ、わかった。つまり「長さ&正確さ」と「短さ&要点」のバランスなのですな。
「だけど」は「長さ&正確さ」を補う一つの手法なわけだ。
と言うわけで、今度は逆に要点だけ書くような書き方を試してみます!
嫌味なメール書いちゃったなぁ、と送ってから思ってたら謙虚な電話がかかってきた。
なんか自分が恥ずかしい。
それにしても、確実に成長してるなぁ。。やるなぁ・・・
メールで書くと、いや、文章で書くと、かな。
思っている通りに伝わらないことがよくある。
大体悪い方向にいっちゃうんだよね。
「あ、メールにしといてよかった」ってことは、あんまり無いです。
仕事してても思うんだけど、
やっぱメールって言うのは直接会話することの代替手段でしかないと思う。
証拠を残せる、とか、同時に展開できる、とか利点はあるものの。
伝えたいことを意図通りに伝えると言う意味では、メールは会話を超えない。
だとしたらさ、大事なことほどメールではなく電話なり会ってはなすなりした方がいいよね。
当たり前だけど。でも、それを忘れていたのでここに反省しておきます。まる。