色んな言葉の最近のブログ記事

忙しい

| コメント(165) | トラックバック(0)
「忙しいとか言ってたら、一生何も出来ないんだよ!」
と言っている同期がいて、確かにほんとそうだよなと思った。

たとえば「忙しいから送別会行けません。。」
って言うのは、言い方を変えると
「めんどくさいから行きません」
「飲み会は○○と比較して優先順位上がらないので行きません」
ってとこなわけで。

まぁ、納得するかどうかは別として、
俺はそう言われた方がよっぽど理解は出来るんですが。

言いたいのは、
「忙しい」と言う言葉は色々丸めて、
ぼやかすための言葉に過ぎないよなぁ、ってこと。
だって「忙しい」だけだと、何も事の本質を語っていないし。

忙しい、と言えば言うほど嘘を付いているように感じる。
「忙しい」、と言う言葉の、裏にある気持ちは何なの?何でそれを隠すの?
その言葉を聴くたび、何で?と聞いてしまうのはそういう気持ち。

会社の新年会

| コメント(193) | トラックバック(0)
うちの会社のじゃなくて取引先の、なんだけど。
部長の代わりにお呼ばれしてきました。
やっぱ新年だし懇親会も豪華で、なんか気合入ってるなぁ。
縁日的な射的や輪投げ、占いなんかがあったりして。

ちなみに占ってもらったんだけど、
占いで、あなたにふさわしい言葉はこれです、って選ばれた言葉が
「平和」
でした。なんと。


平和、と聞くとみんなはどういう言葉を連想するのだろう。
自分が最初に思い浮かんだのは「安定」。
占いのお姉さんは「調和」だそうな。

平和、と聞くとどうしても変化の無い退屈な生活を連想してしまう。
いつ、自分はそういう生活を心から望むのだろう。
それを望む時「収穫期」に入るのだと思う。

・・・と書いていて思ったけど、変化無く、自分が望んで続けていることもあるではないか。
大きい視点で見ると変わらないものはたくさんある。
人間関係とか、趣味とか、そういうの。
でも小さい視点で見るとやはり同じことの繰り返しは無いのかも。


常に変化(刺激?)を求めながらも、
行き着く大きな安定した枠と言うのは必ずある。
その枠はきっと、自分の大きな目標になっていると思う。

書初め

| コメント(24) | トラックバック(0)
先週の土日、らくえんで書初めをやりました。
これは超楽しいです。これはみんなもやった方がいい!
毎週やりたい。

一日で22人が家で書初めしてくれました。
今年もたくさん人が来てくれるのはとてもありがたいことです。
しばらくはリビングに全部貼っておきます。

SH340379.JPG

2009年を終えて
にも書いたんだけど、結局書初めで
「指向性」
と書きました。

ただ思いつくことをやる、行動するのは、そんなに難しくなくて。
とりあえず(別に何も考えなくても)やればいいだけだから。
難しいのは、
 大きな目標を考えて、それに向かって行動すること
である。
それが出来るのが本当の行動力なのだと思う。


今から一年経って自分の道が見えていないとしたら、これから一生見えない気がする。
それはこれから先、道を見つけずに生きていくことを覚悟する、ということと同義か。
自分は本気で生きる気があるのか。それを問うてみたい。

だけど

| コメント(237) | トラックバック(0)
だけど

(接続)
〔助動詞「だ」に接続助詞「けど」の付いた語。「だけれど」のくだけた言い方〕「だけれども」に同じ。


使いやすいから使ってしまう言い方。
言いたいことが長くなってしまう時に、
文を区切るために文末に付けちゃうんだけど。(←これ)

意味はさておき、
単純に、文末に逆接の言葉がいっぱい付いてるとかっこよくないよなぁ、
と言うことをえーりんと少し話したことがあります。
書いたものを読み返してみたとき逆接(だけど)ばっかりだと
「どんだけ言い訳ばっかしてんねん・・・」
と思うんですが。そうでもないですか?


メールの話も書いたんだけど、(←これ)
何か書く時は「誰かに」「何かを」伝えたいはずなわけでして。
表現一つで、相手に与える印象は大きく変わってくるわけで。

むしろ会話が出来ない状態で文だけを晒す時は
(大げさに言うと)自分の言いたいことを最大限伝えられる表現に乗せて
書いておくべきだと思うのですわ。俺はそう書きたい。
べきですよ。べき。
した方がいい、とかそういうゆるいのじゃないです。


だけど、って自分で書くのは
言い訳というか、予防線を張りながら話してるんだろうな。
「いやいや僕はこういうことはちゃんとわかってますよ。でもね、」っていう感じ。
書く内容が短いと、誤解を招く気がするから?かな。

難しいなぁ。
いっぱい書くと冗長だし、そもそも読みにくいし。言いたいポイントが伝わらないし。
別にブログに限らず、メールでもプレゼンでも、あと会話でも同じだろうなぁ。
ああ、わかった。つまり「長さ&正確さ」と「短さ&要点」のバランスなのですな。
「だけど」は「長さ&正確さ」を補う一つの手法なわけだ。

と言うわけで、今度は逆に要点だけ書くような書き方を試してみます!
「やると決めた時にやらんと、一生やらんからな!」
 byもっこす

その通りだと思う。
やれなかったことだらけで人生が終わるとしたら、そんなに空しいことはない。
まず始めてみること。人生の充実そのものですな。

僕のだ私のよ主義

| コメント(126) | トラックバック(0)
弊社の新しいサイトが明日C/O(カットオーバー)するのですが。
今回は珍しく、と言うかヘルプで負荷試験とかを手伝っていたので
サイトに対して"自分のもの感"があり、明日はちょっとドキドキしてたり。

 ・自分のもの感
 ・僕のだ私のよ主義

と言うのが最近自分の中で流行なので少し書いておきたい。
余談ですが、そういうタイトルの絵本もあるそうで。


対象に対して本気で取り組むためには多分、
こういう気持ちが少なからずなくてはならないのだと思います。
本質的に他人のため、と言うのは多分不可能なので。(特に仕事において)
「自分の」あるいは「自分含めたすぐ近くの」と言うのがとても大事。
 #会社組織に広げると「すぐ近く」とは中々思えないなぁ。

先週末、某イベントで本を販売してたんですが
本や、メンバーに思い入れが強くある分すごく楽しかったし
売れた時に、すごくうれしかった。
売る時の話し方一つにしてももよく考えたし、
少なくともその場では本気だったなぁ、と思う。

自分のものなら本気になれる。
背理法で考えると、すなわち
本気になっていないならそれは自分のものではないのだろう。
自分が本気になれていない事というのは
どこかで「他人事」だと思っているのだろうなぁ。

思ったように進まないこと、ちゃんと進められていないことは全部他人事なのかも。
自分の人生を他人事が占めているとしたら、空しすぎるな。
本気で生きていないとしたら、それは既に自分の人生ではない。むむむ。

子供

| コメント(362) | トラックバック(0)

漢字の話やけど、
子供の「供」と言う字。
意味として持っているのは「付き従う」と言うこと。
お供の「供」と同じ使い方やね。

では子供という漢字はどういう意味を持つか。
(親に)付き従う者と言う意味になるのではないか。
子ども(あえて平仮名で書きますが)だからと言って、
ただ付き従うと言うのはおかしいと思う。
だから私は「子供」と書かずに「子ども」と書くようにしています。
と言うようなことを、
小学校5,6年の時の先生が言ってたのを思い出した。

その時「へぇー、なるほどなぁ」と子どもながらに思って、
それ以来俺も「子供」と漢字で書かずに「子ども」と書くようになってました。

goo辞書によると、
〔「ども」は複数を表す接尾語〕
(1)自分の得た息子や娘。古くは複数をいった。

と言うことらしいんやけどね。
また「子供 子ども」でググると色々出て来ます。


学校の先生が教えることは、「正しい」こととは限らないわけで。
聞いたことを鵜呑みにするんじゃなくて、
ちゃんと自分で考えて、
自分の意見として考えとして「正しい」と思えるようにならなければ。
とは、もちろん思う。

思うんだけど、子どもにどこまでの判断が出来るだろう。
小さい頃は良くも悪くも、なかなか疑うことを知らないもの。
自分で考え直すってことは、ある意味疑わんとでけへんことやから。

俺が言いたいのは、小さい子に教える時は
一面的な教え方をするとダメやねってこと。
色んな選択肢を与えながら教えたいと、自分は思うわ。
小中学校の先生には、特にそうあってほしい。

三人称

| コメント(123) | トラックバック(0)

一人称(いちにんしょう)とは、人称の1つで、
自分自身の事を指す。自称。

二人称(ににんしょう)とは、人称の一つで、
話を聞いている相手のことを指す。対称。

三人称(さんにんしょう)とは、話に上がってくる人物、
出来事など(名詞で表せる語句)のことを指す。他称。

by Wikipedia


三人称.
英語で言うとHeとかSheとか,
知らない人でも友達でも恋人でも家族でもその単語しか無いんだから
つまんないよなぁ,とか思うんだけれど,
日本語はそういうところの語彙が多くてさ.
使い分けがあって,色んな場合に応じて,
気持ちを込められて,いいよなぁって思う.

なんでこんなことを書いたかって言うと,
自分(まんとる)のことを示す三人称としてある言葉が使われてて,
ああ,うれしいなぁ,って思ったから.だから.
どこまでも同じだなと.

最近ほんとよく思うんだけど,
言葉の選び方と言うのはとても大事.
大学に入って大学院に入って,
昔ほど人付き合いが多くなくなるかなぁ,って思ってたら全く逆で
就活を始めるとさらに新しい,色んな人と出会うことが多くなってきて.
なおさら,言葉の選び方の大事さを思うわけで.

自分が発した言葉と言うのは,
自分以外の人にとって自分そのものを表しているんやからね.
言葉の意味をよく考えなければ.
また人によって言葉の意味が変わってくることについても.
俺がよんとおに「お前あほやろ!」って言うのと,
俺が他の人に言うそれは,持ってる意味とか影響が全然違うわけやもん.
言霊って言葉も,あるわけやし.

言葉(文章って言ってもいいな)に乗っているのは
自分自身の気持ちそのものです.
人とのインタラクションにおいて一番重要な行為は
言葉を交わすってことやと思うわ.
俺は人と喋ることは大好きやし,これからもずっとそれは変わらへん.


もっと考えて,
いつも,思ってることが一番伝えられるものを選んでいきたいな.

一期一会

| コメント(456) | トラックバック(0)

鰤様がらぶらぶらしいですよ.
人の様子を見てると楽しいですねっ.
卓球は・・ノーコメントで.

一期一会って言葉が好き.
前も書いたのですけれど.
(まんとるの壷@捕鯨から順次記事を移転していきます)

人との出会いを大切にしようね,
その瞬間を大事にしようねって意味.
だと思ってます.

地球に生きてる何十億って人の中で,
一生のうちにどれだけの人に会って話が出来るでしょうか.
そうやって考えると,自分と実際に会えた人と言うのは
とても稀な確率に導かれてるなって思う.

いまやっぱりとっても楽しいし,しあわせ.
この時間をほんとに大事にしたいな.

そういう精神なんだろうな,と思います.

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.02

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち色んな言葉カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは色んなことです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。