久しぶりに同期と朝まで飲んだ。
みんなでカラオケで合唱して盛り上がれるっていいね。
なんかもう無茶苦茶だったし、反省点だらけだけど。
月並みだけど、同期っていいなぁと、ほんとおもった。
だから朝6時半に帰って13時出社になったのはしょうがない!
いい会社だなぁ。しあわせだわ。
惰性でやっていること、一日のうちに山ほどある気がした。
一日のうちで意識して行動している部分って、何パーセントなんだろう。
それを無くすだけで、どれだけの時間が生まれるのだろう。
ちょっとやってみよう。
明日よんとおの修了式ということで、
母上が上京してきた。
なぜか俺とちんぺーの服の取れたボタンを付けまくってくれています。
職人です。
今日は通販でマガジンラックを買った。
10分で議論して買って、届くんだもんね。
久しぶりに通販で買い物したけど、なんかもう店で選ぶ気がしないわ。
何が?と言う話ですが、
珍しくそういう話になったのでメモしておきます。
飽きが来ない人間とは、どんな人なんでしょうね。
そういう人でありたいし、そういう人に周りにいてほしい。それは事実。
「忙しいとか言ってたら、一生何も出来ないんだよ!」
と言っている同期がいて、確かにほんとそうだよなと思った。
たとえば「忙しいから送別会行けません。。」
って言うのは、言い方を変えると
「めんどくさいから行きません」
「飲み会は○○と比較して優先順位上がらないので行きません」
ってとこなわけで。
まぁ、納得するかどうかは別として、
俺はそう言われた方がよっぽど理解は出来るんですが。
言いたいのは、
「忙しい」と言う言葉は色々丸めて、
ぼやかすための言葉に過ぎないよなぁ、ってこと。
だって「忙しい」だけだと、何も事の本質を語っていないし。
忙しい、と言えば言うほど嘘を付いているように感じる。
「忙しい」、と言う言葉の、裏にある気持ちは何なの?何でそれを隠すの?
その言葉を聴くたび、何で?と聞いてしまうのはそういう気持ち。
なんのこっちゃと思われそうですが、
同期には分かるタイトル。
同期のべんべんが会社を辞めて大阪に戻って先生になるらしい!
と言うわけで同期で送別飲み会。
2次会で家に来てくれたのでカシスオレンジをいっぱい飲んだ。
べんべんはえらいですが、えろいです。
いや、えろいけどえらいんだな。
自分の目標に向かって進むのは難しい。
みんなそう思ってるから、そういう人を見ると応援したくなるし
素直に送りたくなる。
それが、徳のようなものなのかもしれない。
おつかれさま。おめでと。
半年振りくらいに話をしたけど、違和感がなかった。
こうやって正常になっていくのだろうか。
そうなっていけばいい。
「年明けてから大人になったね!」
と言われたんだけど、まぁ多分そんなことはなくて。
なんていうの?落ち着きっていうの?
そういうのは必要だなと、思うこともあると、そんな感じ。
と言うわけで4月3日は大お花見大会なのでみんな集合!!!
参加する人あつまれーー
#これが大人の落ち着き。
夜中に学生が5人ほど来た。
よんとおの寮の後輩みたい。
この二日で高知のお遍路さんを襲撃して
廃墟行って白川郷行ってスキー行って、それから東京に来たらしい。
元気だなぁ。
それ以上に、学生ってほんとに自由時間に溢れているんだな。
いつ勉強していつ遊んでもいいんだもんね。
自分の学生時代を後悔することはしないけど、
いま自分が学生に戻るとしたら何をするだろうか。
学生の頃もし、社会人になると自由な時間が限りなく有限で
とても貴重に思えるということを知っていたとしたら。
なんて、思ってもさほど意味はないもの。
今のこの、時間が貴重であることを知った自分は何をしていこう。
とりあえず今週から、会社のビジコンの企画を始めます。
指向はこっちだと思うから、今はこの先に何かを見たい。
最近、人に対して妙に苛立つことが多い。
別にイライラしたって解決しないのは分かってるのにね。
会う人が増えて来て、比較してしまうからだろうか。
特に、意志の無さ(≒志の低さ)、やるやる詐欺(やるって言っといてやらないの)
の2つが特に引っかかる。
しかしまぁ、自分でも思うけど傲慢だな。。
よんとおが今日やけにゴキゲンなメールを送ってきたんだけど、
こうあるべきだし、これが本当だなぁと。おもた。
反射的にイラッと来る気持ちを抑えて、
諭す気持ちに転化出来れば、それが余裕になるのだろうな。
本当にやりたいことは、相手を変えて、自分を変えて、
お互い望ましい関係になることなのですもの。
「余裕を持って」
これ、意外とすごいことなのかも。
#らくえん書初め大会の一つより。
なんで降ってんの?なーんで降ってんの?
降り足りないのか・・・
今日は、退職届が印刷される瞬間を見ました。
なんか懐かしいな。。
と言う名のランチタイム2時間!!
有意義すぐる・・・
えらそうに学生に対して「何がしたいの?」と、聞く自分は結局何がしたいんだろう。
漠然としたイメージは、果たして志向性を持って収束するのだろうか。
自分が問う言葉は、自分に問うためのものである。
自分が語る言葉は、自分に言い聞かせるためのものである。
人と話すと言うことは、すなわち自分と話すと言うことである。
てんぷらおいしかった。まる。
端的に言うと、
好き嫌いなんて本能にしか基づいていないんじゃないかって思う。
好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。
説明なんてなかなか出来ない。
いや、でも嫌いな理由は結構説明出来るな・・・
好きな理由が説明しにくいのか。
何かを(誰かを)好きってことは、根源的な欲望に基づいているのだろう。
それは直観だし、きっと正しい。(それに従って生きれば幸せになれる、と言う意味で)
ただ、それが正しくなかったとき、どう戻って来れるかが大事で。
周りにいる人間は、戻って来るための手段であってよいと思う。
そのためにいるし、お互いそうやって必要としていれば、
きっと良好な関係は続けていけるもんね。
おつかれさま。今日はちゃんと寝ること。