ちゃんと日記書いとかないとなぁ、と思った。
たまにしか会わない友達に対して
近況報告すると言う役割もブログは持っているわけで。
そんなことわかってたし、知ってたのになぁ。10年前から退化しているというのか。
サボってて書いてないのか
書きたいことがないから書いてないのか
死んでるから書けないのか
見てる方からしたら、実はどれも同じだったりする。
これはまた別の話だけど、
書いている内容が全て、と言うことも起きる。
毎日暗い日記を書いていれば、いくら毎日元気で、
家に帰って来てPCの前に座っている時だけ暗くなっているのだとしても
(それどんな状態やねんって話ですが。)
ただの暗い子に見えてしまう。
と言うわけで思ったのは2点ね。
・何も書かないと死んでるように見える(見えうる)
・書いていることが全て(になりうる)
特に2つ目って大きな問題だよなぁ。
「無意識に行われる情報発信の選択」
人間は五感に頼った知覚しか出来ない以上、
思っていること全てをリアルに伝えることは情報量的に考えて出来ない、
とか思うんだけどそんなことを言っていてもしょうがないので
どうやったら伝えたいと思ったことが伝わるような、
発信の選択が可能になるのか、
ブログを書く上での内容検討の方法論を考えたいと思った。まる。
こんばんは、かまってちゃんです。
土日にいっちーが遊びに来てたので遊んでたら元気になった!散財した!
朝3時に起きてこの時間までほぼ24時間活動していると、
1日が長い。(本当の意味で)
最近、仕事をするにしても、いい意味で(!)焦りを感じるようになってきた。
決められた時間でどれだけのアウトプットを出せるのか。
ダラダラと残業したところで業務効率を劇的に上げないことには
劇的な成果が出ないことくらいはもう分かってきた。
そろそろ期待を裏切らなければならない。いい意味で(!)
懺悔をしている暇なんか無い。
細かい事に構ってる暇も無い。
傷付いてるフリをする暇だって無いのだ。
最近、文章がラノベくさい。すいません。流行りなもので・・・
今までを振り返って、印刷用の文章を書いていた。
色々考えてたら10時間くらい経ってた。ねむ。
でも意義のある時間だったと思う。
考えることや書くこと、描くこと、作ること、どれも何かを生み出す行為(創造)で
とても尊いなぁと思う。
そう思ったとき、急に消費することが空しく思えてしまう。
同じ時間を使うのであれば、消費するのではなく生み出すべきだろう、と。
でもね、生み出すと言うことは、誰かが(自分が?)消費することを前提としているはずなのです。
そこはとても矛盾している気がするのですが。
だって僕も消費大好きだもの!
ゲームもマンガもアニメも消費したい!お菓子も食べたい!
(ダメだこいつ早く何とかしないと・・・)
以下、仮説。
・自分自身が何かを創造する時間と、消費する時間は均衡するポイントがある
・どちらの時間もゼロではない
解はまだないんだけど、仮にいったん50:50くらいで置いてみるか。
ミキ秀曰く超スロースターターだけど、何か創造するのはやっぱり楽しいと思った。
メンバーを見ていてそう思った。
自分に創れるものって何なんだろう。
いや、創れるものと創りたいものはきっと違うな。
何が創りたいんだろう。
場?
つづく!
よんとお(くどいですが、双子の兄です。)と一緒に住んで
そろそろ1年ちょっとですが、昨日久しぶりにその意義を確認した。
覚えているうちに書いておく。
皆さんご存知無いと思いますが、
「双子のテレパシー」は多分存在します。
思考パターンが酷似しているから考えていることが大体分かる、という意味で。
10年近くは違う環境で過ごしたとは言え、
根本的な思考パターンはお互い99%読めてしまう。
1%の違いは何だろう。よんとおは完璧主義で、俺はきっとそうではないところか。
よんとおのやり方はかっこよく言うと、
完璧に理想を追い求める、ストイックな感じ。
でも俺はそうではなくて「ほどほど」にしておくことが多い。
「多分これは無理。この辺にしとくのが一番効率がいい。」と、
どこかで諦めているところがあるように思う。
その「諦め」に対して自己嫌悪を覚えるか覚えないかの違い、と言ってもいいかもしれない。
あ、言いたかったこと。
前提を必要としない会話が出来ると言うことは、
本来考えたい、会話のレベルを大きく上げることになる。ってこと。
だって話したいことにたどり着くのが一瞬だから。
いわゆる親友とか家族とかに物事を相談しやすいのは、
物理的に近くにいるから、と言う理由よりもむしろ、精神的に距離が近いからじゃないのかな。
精神的にと言うか、思考の背景的に。
分かってくれるはず!と言う信頼と、その裏づけがある。
でも、同じ兄弟達であっても
距離が99%なのと、そうでないもの(90%、いや80?70?)の違いはとても大きい。
だって、ミキ秀のことの方がよっぽど分かるもん。
70を99に出来なかったことが、俺とよんとおの、ここ20年でのとても大きな失敗、
いや、しようとしなかったこと、すべきだったことに気付かなかったことが、
きっと失敗だったのだと思う。
「だった」と言う今。
「じゃなかった」と言うことにするのが、これから1年の大きな仕事になると思う。
そういう話を先輩にしたら、
「俺、兄弟いないからそういうのわかんないよ。」
と、ちょっと申し訳ない気がしてしまった。
キーワード書いとく。
キラキラ