誰かと何かを共有することって,
「楽しいこと」の本質的な一部だと思っています.
そしてその共有することの数を数えたら,
人間関係って定量化出来たりしないかな?というお話.
親しい友達にしか分からない呼び名を使ったりとか,
特定のコミュニティでしか使われない用語を使ったりとか,
いつも誰かと同じ挨拶をしたりね.
「自分達にしか分からない何か」
を共有していることで,人は強い連帯感を得ているのだと思います.
共有って意味では,同じ日本に住んでいることや
同じ星に住んでいることや,同じ体系の言語を使うことだって
「共有してること」のはずなんだけれど,
そういうのはあんまし嬉しくない.
だから共有するものの「小ささ」が影響してるのだと思うのです.
共有,そしてその規模の小ささ,
この2つの定義を満たす集団の最小単位は,当然「2」です.
共有することが楽しいことで,
かつ上記の「小ささ」がその度合いと相関する尺度だとすると
「2人でだけ共有する何か」は最大の楽しさ可能性を秘めている気がする.
友達でも恋人でも家族でもそうなんだけど.
きっと小さな単位で,小さな単位でしか人が関わらない場合においては
よりその単位でしか伝わらないものを作って,
共有しようとする方向に自然に働いているのかも知れない.
長年付き合えば2人しかわからないことが増えていくのは当然だし
それがあることによってまた連帯感を得ていくことも当然だろう.
当たり前のフィードバックだけど,
すごく大事だと思うしそれが増えていくこと自体が幸せなんだろうなぁ.
とか思った.
ミキ秀との電話を切る時にも合言葉みたいなものがあるし,
nyとメッセンジャーで話す時にもルールがあったりします.
そういうものの存在がどれだけ人間関係に影響を与えているんだろうな.
自分達の会話の中に出て来る
「他の人にわからない言葉の数」
を数えることで,人間関係の度合いが定量化出来たりしてね.
会話を録音して文字にして,
固有表現認識みたいなことをすれば出来るのかな.
ちょっと面白そうじゃない?