2007年10月アーカイブ

シリーズ店の人

| コメント(181) | トラックバック(0)

シリーズ「店の人」ってことで
色んなところで見つけた素敵な「店の人」について
いいところや悪いところ、
職業としてのそのお店や周りの環境含めて書いていきたいと思います。
きっかけは数日前に書いたこの記事です。

普段からよく行く店の人だったり、
たまたま出先で寄った店の人だったり、
定期的に行く店の人だったり。
いっぱいいてはりますね。


その人がその場所でその仕事をしていることには
どのような意味があるのか。

俺は、完全に機械で置き換えられる仕事であれば
機械がやればいいと思ってます。
でも世の中にまだまだたくさん人手で行われている仕事があります。
その理由の一つには、
その仕事自体、人間が(その人が)やることに意味がある、
人間にしか出来ないものだからって言うのがあると思う。
それがどういうものなのかを明らかにしたい。

店の人をちゃんと人としてよく見てみることで
仕事を通した楽しさや感動が見えてきそうな気がしています。

関連のある文章として。
職業の貴賎(2006/11/13)
http://blog.livedoor.jp/mantol/archives/50875228.html

なんか最近1日1食だなぁ、と思う。
1.こないだ血液検査に行った結果をまだ聞いてないからですか?
2.体重は変わらないのに体脂肪率だけ増えてる気がするからですか?
3.ご飯買いに行くのがめんどくさくて
  買い置きのお菓子ばっか食べてるからですか?

正解は3。最悪。


カップラーメンは普段ほんとに食べないんだけれど、
どん兵衛だけは月一くらいで食べようかなぁと思う。
で、いまその噂のどん兵衛を食べてるんですが、
「どん兵衛特盛かき揚げうどん」のおいしさは異常。
どのくらいうまいかって言うと思わず
「どんべえ」→「どん兵衛」
と辞書に登録してしまうくらいうまい。

きつねうどんもよい。そばはまぁ・・あんまし好きじゃないけど。
かき揚げがええねんなー。かき揚げが。
インスタント麺に入ってるかき揚げのくせに(すいません)
やたら味わい深いかき揚げになっているのがにくい。
いわゆるジューシーと言うやつである。
そしてかき揚げに入っているわずかばかりの野菜を食べることで
「あ、俺ちゃんと野菜採ってる」
とか勘違い出来るところも素晴らしい。

誰も共感してくれないとは思いつつも
どん兵衛にも感動が潜んでいることは間違いないと思うのである。

いつも感動して生きていきたいなぁ、と思うんですけど。
と言うわけで最近のテーマは「感動はどこからくるんですか」です。

少し前nyと話していた時、
「知らないということは(そしてそれが既知になる時は)感動じゃないか」
と言うことになりました。
つまり感動の源泉は「知らないこと」にある。
それは「無知でも未知でもいい」と。
自分が単に知らないだけのことであっても、
世の中でまだ知られていないことであってもよいのです。
それが既知になる瞬間には感動出来るはず。

対象に対する興味であるとか、向上心と言うか向学心と言うか
そういうものは必要だとは思いますが
知らないことを知る事が出来た時の喜びは必ず存在します。
その気持ちは小さい時からずっと持っているもので。
好奇心がある人は好きだし、
自分自身ずっと好奇心を持って生きていけたらなぁ、って思います。


じゃあ、好奇心を刺激されるものとそうでないものの違いは何なんだろう。
と言うのが次の課題。
世の中好奇心を刺激されるものばかりなら
相当幸せだと思うんだけど・・どうなのかな。
知りたいことと知りたくないこと。
その線の引き方が知りたい。

店の人

| コメント(140) | トラックバック(0)

さっき学校の帰りにローソン寄ったら、
店員のお兄ちゃんにガンモ1個おまけしてもらった。やたー。
ついでにポーションの絵柄探しに付き合せてしまった。。
暇そうだったからいいよね。

俺は基本的に、店員さんと言うのが好き。
話しかけても邪険にされないからね。
まぁ、たまには愛想の悪い人もいるんだけれど。

本屋で働いてた時、パソコン教室で教えてた時、
あとは子ども達相手に色々教えてた時、
バイト中に話し掛けられるのはいつも嬉しいなぁと思っていたし
ある意味それは仕事でもあったわけで。

結局のところ、喋りたいだけなんだなぁ。
いつでもどこでも喋る相手がいれば幸せだと思う。
店員さんでも道行く人でも、何かのきっかけでお友達になって
その人から何かしら得られて、
その人に対して何かしら貢献出来れば素晴らしいと思う。

焼き鳥屋の兄ちゃん、スーパーのレジのお姉ちゃん、
生協のおばちゃんやレジの女の子、コンビニの兄ちゃん、
よくいく本屋のおじさん。
家の周りでよく行く店には、今は誰かしら喋れる人がいる。
これはとてもありがたいことであります。
これからもそういう環境であって欲しい。

関西と関東、俺がやってることは何も変わらないし
周りの人も何も変わっていない気はする。

駅員さんの関西弁

| コメント(552) | トラックバック(0)

日常と非日常の境目はどこにあるんだろう。
と考えていたんだけど、結局結論が出なかった。

どうやって切り分けたものかなぁ、と思って
とりあえずは1年くらいのスパンにおける分布で
自分がいる場所を見ればどうかと思ったんだけど、
(今年だと1年のうちほとんどが千葉にいて、
たまに東京に出て、まれに奈良や大阪にいると。)
あんまりしっくりこない。
千葉は日常だし、東京もどっちかって言うと日常の一部、
奈良や大阪にいる時はちょっとだけ非日常感がある。
これを10年くらい続けるとどうなるだろう。
恐らく全ては日常の枠に入る気がする。

当然のことながら、日数や場所(しかも地域と言う大きなくくり)
だけでは日常と非日常を切り分けられないという結論が出た。

自分の幸せについて、また別の言い方を思い付いた。
人は(自分は)日々感動したくて生きているのであるよ、と。
全然まとまってないんだけど、
非日常の定義が見えてくれば、もっと感動の、
なんだろう、なんて言うのかな、感動の源泉?と言うか
感動を覚えるきっかけになるようなものがわかるかなって。
恐らく非日常の中にもそれがあるのだと思う。

それでね。
京都に着いて、名古屋で降りるつもりが乗り越しちゃったので
精算しようと思って駅員さんとこ行ったら
「えー、そしたらお2人で6500円になりますー。」
って言うのが関西弁やったわけです。
妙に嬉しかったわけ。
ああ、帰って来たなと。
ややオフィシャルな位置にいる人が
基本装備で関西弁を喋ってるのが何かもうよかったわけです。
電車に乗ったら乗ったでまたみんな関西弁だし。
日常生活(だとその時思った)の中にあるものが違って見えて、
数時間前の日常(関東での生活)とは違う、
自分は非日常に踏み込んだと言う確信がその時初めて持てた。
だから、境界はこの辺にあるんじゃないかなと思うわけ。

何だろう、何があるのかなぁ。線を引きたい。線を。境界に。
そしたら毎日感動しっぱなしでうはうはですよ。
会社に行ったら日々そんな生活が出来そうな雰囲気で、嬉しい。

大阪に帰った

| コメント(257) | トラックバック(0)

ちょっと発表があって、土日に大阪に帰って来ました。
朝から晩までずっとポスターの前に立ってるので
自由時間がほとんど無かったなぁ、なんて。

2日間のご飯は、
いつものたこ焼き屋(NGKの横のやつ)とNAVIOの上のぼてじゅう。
NAVIOが閉店らしいですね。怪しいとは思ってたけど。
「NAVIOはあなたを忘れない」
代わりに阪急が入るらしい。ほおお。
地下鉄梅田から阪急梅田の道はまだ工事中だったし、阪急頑張りますな。

それにしてもお土産を売ってる店が全く無いのな。相変わらず。
道頓堀や心斎橋にはあるんだけど、JR大阪とかに行くと全く無いです。
しかも夜に行くと何も無い。
やむなく阪神タイガースせんべい(正式名称は知りません)と
551の豚まんを買いました。
夜行で帰るので豚まんの賞味期限が切れました。すいません。

大阪の人にしかわからない用語を散りばめてみました。
なんか妙に懐かしい気分になる。

早起き録 6

| コメント(458) | トラックバック(0)

久しぶりの早起き。
ここのところ毎週木曜日は早起き。
7時半で早起き。

行動が習慣化するのがちょっと怖い。
朝起きたら何をして、次に何をして、
そして1日何をして・・と言うのが全て定型化する気がして。

効率よく作業を進めるために方法を考えて、
その効率のよい方法を実践し続けることが確かに時間的には
合理的ではあると思うんだけど、
と言うかそのために日々努力して改善を続けるんだけど。
しかしその行き着く先が定型だとすると
それはあまりにもつまらない気がする。

これがいわゆる、
「神、意外とがっかり。」
である。
これは別記事で。

計算

| コメント(127) | トラックバック(0)

まぁ、何か書いとこうかと思ったので書いておこう。

「まぁ」で始まる文章はいい加減なことが多いなぁ。
よく書いてる気はするけど、読み返すとあんましよろしくない。
大体「まぁ」・・って・・・まぁいいか。


何でも気の持ち方一つでよくなったり悪くなったりします。
同じ時間を過ごしているのに気分が浮いたり沈んだりするのは、
結局これも、余裕、なのかな。

余裕はどこから生まれるんだろうか。
ちゃんと予定を立てたら生まれるのかな。
風呂に入ったら生まれるのかも知れないし、
ガンダムのプラモ作ったら生まれるのかも知れない。
毎日朝ご飯にヨーグルトを食べたら生まれるのかも知れない。
ただ一つ言えるのは、余裕と言うのは
その時心を占めているもの以外のところからやってくるってこと。

いま自分の中を独占してるものが何かを認識できたら
次はその他のものに目を向けること。
そしてその他のものをするための力を手に入れること。
それが余裕を持つ、と言うことになりそう。

とりあえず落ち着くべきだなぁ。
そしてちゃんと計算するべき。

結論が「計算」とは・・やっぱり理系なのかな。落ち着く。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.02

このアーカイブについて

このページには、2007年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年9月です。

次のアーカイブは2007年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。